「西洋人が汁粉を知れば、世界中で人気になる」。芥川龍之介が、そのようなことを書いたらしい。けれども、作品名や正確な文章が分からない――そんな疑問を持って調べ始めた方もいるでしょう。
この言葉のもとになった文章は、芥川龍之介の短い随筆『しるこ』にあります。ただし、「西洋人が汁粉を知れば」という形は、原文をそのまま抜き出したものではありません。現在の読者に伝わりやすく言い換えた表現です。
『しるこ』は、甘い食べ物をほめるだけの文章ではありません。関東大震災後の東京から古い汁粉屋が消えていく寂しさを出発点に、想像がニューヨークやパリへ飛んでいく、軽やかで少し切ない随筆です。
この記事では、出典と原文の意味を確かめたうえで、震災後の東京、芥川らしいユーモア、現代の暮らしにも通じる読み方まで整理します。

「西洋人が汁粉を知れば」の出典は随筆『しるこ』
作品名は『しるこ』で、発表は1927年
出典は、芥川龍之介の随筆『しるこ』です。青空文庫の作品情報によると、初出は明治製菓の冊子『スヰート』第二巻第三号で、発表日は1927年6月15日とされています。
芥川が亡くなったのは同年7月24日です。したがって『しるこ』は、亡くなる約1か月前に発表された晩年の文章ということになります。
もっとも、晩年の作品と聞いて想像するような、終始重苦しい文章ではありません。一椀の汁粉を眺めながら、外国人にもすすめてみよう、世界で流行するかもしれないと空想を広げていきます。
検索される言葉は原文の要約
原文では、現在では通常使わない「紅毛人」という歴史的な呼び方が登場します。その人々はまだ汁粉の味を知らず、一度知れば麻雀のように世界へ広まる可能性がある、という趣旨です。
このため、「西洋人が汁粉を知れば」「外国人が汁粉を知ったら世界で流行する」といった言葉で検索されるようになったのでしょう。
「西洋人が汁粉を知れば」は、作品の内容をつかむには便利ですが、かぎ括弧を付けて芥川の原文として引用するのは避けたほうが安全です。
原文の中心は「世界を風靡しないとも限らない」
作品の中心となるのは、汁粉が「世界を風靡しないとも限らない」と想像するくだりです。
風靡するとは、風が草木をなびかせるように、あるものが広い範囲へ一気に流行し、人々を引きつけることをいいます。現在なら「世界的なブームになる」「海外で広く人気を集める」に近い表現です。
ただし芥川は、汁粉が必ず外国人に愛されるとは言い切りません。すすめる価値はあるが、愛されるかどうかには多少の疑問もある、とすぐに留保しています。
夢を広げながら、同時に自分の夢へ冷静な突っ込みを入れる。この小さな揺れが、『しるこ』のおかしみです。
短い随筆『しるこ』はどのような話なのか
友人の文章を読んで筆を執る
随筆は、芥川が作家・久保田万太郎の書いた汁粉の文章を読み、自分も書きたくなったと述べるところから始まります。
つまり、最初から海外進出の構想を語ろうとしたのではありません。他人の文章をきっかけに、自分の記憶の底にあった味や店の風景がよみがえり、筆が動き始めたのです。
私たちにも似た経験があります。昔ながらのお菓子について誰かが話しているのを聞くと、味だけでなく、店の戸、椅子の固さ、連れて行ってくれた人の顔まで思い出すことがあります。
震災後に汁粉屋が減ったことを嘆く
芥川は、震災後の東京では梅園や松村を除き、汁粉屋らしい汁粉屋がほとんど姿を消したと書きます。そして、上野広小路にあった「常盤」の汁粉を、もう味わえないと惜しみました。
この部分には、単なる甘党の不満以上のものがあります。芥川は、汁粉屋がなくなることを、酒を飲まない自分たちにとっての損失だけでなく、東京そのものにとっての損失だと考えているからです。
一軒の店を街の文化として見ている。その視点を持つと、随筆の輪郭が少し変わって見えてきます。
汁粉屋に代わってカフェが増えていく
古い汁粉屋が減る一方で、東京にはカフェが増えていました。しかし芥川は、汁粉の名店に匹敵するほどのコーヒーを飲ませる店があるならまだよいが、そうとも思えない、と皮肉を添えます。
新しいものだから嫌った、と単純に片づけることはできません。芥川が惜しんでいるのは、古いものが消えたあとに、同じほど大切にしたくなるものが残らない状況です。
新しさと質は同じではない。これは、店の入れ替わりが早い現代の街にも通じる見方でしょう。
最後はニューヨークやパリへ飛んでいく
文章の後半で、芥川の想像は突然、海を越えます。ニューヨークのクラブでは男女が汁粉をすすりながらチャップリンの話をし、パリでは画家が一椀を前にしている。さらにイタリアのムッソリーニまで汁粉を食べている姿が思い浮かべられます。
現実の東京では汁粉屋が消えているのに、空想の世界では汁粉が海外へ広がっていく。この反転が、文章を愉快にしています。

汁粉の海外進出は本気の提案だったのか
表面上は外国人にすすめる提案
文章だけを追えば、芥川は帝国ホテルや精養軒の支配人たちに、機会があれば外国人へ汁粉をすすめるよう提案しています。
天ぷらを好むのなら、汁粉も受け入れるかもしれない。少なくとも、一度すすめてみる価値はある。その理屈には、それなりの筋が通っています。
現在の言葉に置き換えれば、日本の甘味を海外の人に紹介する「食文化の発信」を提案しているようにも読めます。
成功すると断言していないところが重要
ところが芥川は、外国人が汁粉を「必ず」愛すると書きかけた直後、その点には疑問があると差し引きます。
ここを読み落とすと、『しるこ』が日本食の海外進出を大まじめに訴えた文章に見えてしまいます。実際には、期待を大きく膨らませてから自分で少ししぼませる、ユーモラスな語りです。
この随筆の面白さは、「汁粉は世界で成功する」という結論よりも、成功するかもしれないと空想する時間そのものにあります。
身近な一椀が世界へつながる
汁粉は、椀の中に収まる小さな食べ物です。しかし芥川の想像は、その一椀から東京の街へ、さらにニューヨーク、パリ、イタリアへと広がります。
身近なものを細かく眺めているうちに、話が遠い世界へつながっていく。この運び方は、日常の雑学を楽しむときにも役立ちます。
古いお菓子や道具を見たら、「これはいつからあるのか」「街の変化とどう関係したのか」「海外の人にはどう映るのか」と問いを一つ増やしてみる。身の回りのものが、歴史や文化を考える入口になります。
「震災以来」が示す関東大震災後の東京
1923年の関東大震災から約4年後の文章
『しるこ』にある「震災以来」の震災とは、1923年9月1日に発生した関東大震災を指します。作品が発表された1927年から見れば、約4年前の出来事です。
関東大震災と大火は、東京の建物や店舗、街並みに甚大な被害をもたらしました。芥川自身も地震後の光景を見ており、別の文章『大正十二年九月一日の大震に際して』に、焼け跡や避難した人々の様子を書き残しています。
そのため『しるこ』の「震災以来」は、単なる年代の説明ではありません。震災前に親しんでいた店が戻らず、街の姿が変わったという実感を伴う言葉です。
店が消えると、個人の記憶の置き場も失われる
馴染みの店が閉じるとき、失われるのは商品だけではありません。いつ誰と訪れたのか、どの道を歩いたのか、その頃どのような暮らしをしていたのか。店は、そうした記憶を結び付ける場所でもあります。
芥川が「常盤」の汁粉を惜しむ気持ちも、味の再現だけでは埋められないものでしょう。椀になみなみと盛られた汁粉と、その店で過ごした時間が一緒になっていたからです。
現代でも、長く続いた喫茶店、食堂、銭湯、商店がなくなると、街全体が薄くなったように感じることがあります。『しるこ』は、その感覚を約100年前から伝えています。
「東京の損失」と言うほど食文化を大切にした
芥川は汁粉屋の減少を、自分だけの不都合として終わらせません。「僕等の東京」の損失だと話を広げます。
そこには、名物とは有名な商品だけを指すのではなく、街で長く親しまれ、人々の記憶を受け止めてきた店や味も含まれる、という考え方が見えます。
日常生活のなかで地域文化を守るといっても、大げさな活動ばかりではありません。店の由来を知る、昔の写真を見る、気に入った味を家族へ伝える。そうした小さな行動も、街の記憶を次へ渡すことにつながります。

話が大きくなるほど見えてくる芥川のユーモア
真顔のような文章で空想を広げる
『しるこ』の語り口は、見た目にはまじめです。東京の店を論じ、ホテルや料理店の支配人へ提案し、海外で普及する可能性を検討しています。
しかし扱っているのは、一椀の甘い汁粉です。世界情勢を考える政治家まで椀を手にしている姿を思い描く頃には、読者も話が意図的に大きくなっていることに気付きます。
芥川は声を上げて笑わせるのではなく、真顔で話を進め、状況そのもののおかしさを浮かび上がらせます。
断定した直後に疑いを差し込む
外国人も汁粉を必ず愛する、と勢いよく進んだ直後に、本当に愛するかどうかは疑問だと書く。この一歩進んで半歩戻る言い方も、芥川らしい部分です。
自分の好物を人へすすめるとき、「絶対に気に入る」と言いながら、相手の好みを考えて「いや、甘すぎるかもしれない」と言い直すことがあります。『しるこ』には、そんな日常会話に近い人間味があります。
この留保があるため、文章は一方的な文化自慢になりません。自分が好きだからといって、他人も同じように好きとは限らない。その当たり前の距離を保っています。
大人物と汁粉の取り合わせがおかしい
ニューヨークではチャップリンの離婚が話題になり、最後にはムッソリーニが天下の形勢を考えています。その手元にあるのが汁粉の椀です。
国際的な有名人や政治の大きな話と、甘い汁粉をすする小さな動作が並びます。この規模の違いが、おかしさを生みます。
ただし、作品に登場する人物や呼称は1927年当時のものです。現在の価値観や国際情勢を説明した文章ではないことを踏まえて読む必要があります。
古い言葉を現代語に置き換えて読む
「紅毛人」は現在の会話では使わない
原文にある「紅毛人」は、歴史的には主に欧米人を指して使われた言葉です。『しるこ』の内容を現代語で説明するときは、「西洋人」「欧米の人」「外国人」など、文脈に合う表現へ置き換えると理解しやすくなります。
歴史的な文章に現れるからといって、その呼称を現在の人物へそのまま使用するのは適切ではありません。原文を引用する場合は、当時の表現であることが分かる説明を添えるとよいでしょう。
「支那料理」も歴史的表現として扱う
「支那料理」という語も原文に出てきます。作品が書かれた時代の用語ですが、現在の日常的な表現では「中国料理」とするのが一般的です。
古典や近代文学を読むときは、作品内の言葉を消してしまう必要はありません。一方で、現代の説明文まで無条件に同じ言葉へ合わせる必要もありません。
原文と現代語訳を分け、どの時代の言い方なのかを示す。それだけで、作品を尊重しながら誤解を避けやすくなります。
旧仮名遣いは音へ直すと読みやすい
青空文庫の本文には、「知つてゐない」「すすめて見みるが善い」など、現在とは異なる仮名遣いや表記が見られます。
読みづらいときは、頭の中で現代の音へ直してみましょう。「知っていない」「すすめてみるのがよい」と読めば、内容そのものはそれほど難しくありません。
最初からすべての古い表記を理解しようとせず、まず主語と動作を探すのがコツです。誰が、何を見て、どう感じ、何を想像したのか。その順序を追えば、文章の流れがつかめます。
芥川はなぜ汁粉を世界へ広めたかったのか
第一の理由は、単純に汁粉が好きだったから
まず見逃せないのは、芥川の汁粉への強い愛着です。東京の汁粉を第一とし、店が減ったことを繰り返し惜しんでいます。
ここを難しく考えすぎる必要はありません。好きなものがなくなりそうになれば、誰かに価値を分かってほしいと思う。その素朴な願いが文章の土台にあります。
東京の文化として残したい気持ちがあった
芥川にとって汁粉は、甘い小豆料理というだけではありませんでした。特定の店、街路、友人との会話、震災前の東京を結び付ける文化でした。
そのため、汁粉が外国へ広がる空想は、日本文化を宣伝する大きな計画というより、消えかけている東京の味に別の未来を与える試みに見えます。
現実の街では店が減っても、世界のどこかで人々が汁粉を囲んでいる。そう考えれば、失われる一方だった物語に続きが生まれます。
現実の喪失を空想の成功で裏返した
『しるこ』の前半は、震災後の喪失を語っています。ところが後半では、汁粉が世界を席巻する可能性へ話が変わります。
この構造を整理すると、次のようになります。
| 文章の流れ | 描かれる内容 | 読者に伝わる感情 |
|---|---|---|
| 出発点 | 震災後に汁粉屋が減った | 寂しさ、惜しさ |
| 転換 | 外国人へ汁粉をすすめる | 期待、遊び心 |
| 到達点 | 海外の人々や政治家が汁粉をすする | 愉快さ、解放感 |
なくなったものを、そのまま悲しみ続けるのではない。想像の中で遠くへ送り出し、別の場所で生き延びさせる。『しるこ』の明るさは、そこから生まれています。

晩年の文章だからこそ見落としたくない軽やかさ
発表から約1か月後に芥川は亡くなった
芥川龍之介は1892年3月1日に生まれ、1927年7月24日に亡くなりました。『しるこ』の初出が同年6月15日であるため、晩年も晩年の作品です。
この時期の芥川には、心身の不調や生への不安を映した作品もあります。そのため、晩年という情報だけを先に知ると、『しるこ』にも暗い意味を探したくなるかもしれません。
けれども、作品に書かれていない心情まで一つに決めつけるのは慎重であるべきです。本文から確かに読み取れるのは、失われた店を惜しみながらも、自由な空想を楽しむ語り手の姿です。
短い作品なので近代文学の入口に向いている
『しるこ』は短く、筋書きの複雑な小説ではありません。古い表記を除けば、話題も汁粉、コーヒー、店の変化、海外への空想と親しみやすいものです。
芥川作品を『羅生門』や『鼻』だけで知っている方にも、別の一面を見せてくれます。歴史的な題材を緊張感のある文章に仕立てた作家が、日常の甘味を前にこれほど話を膨らませていたと分かるからです。
まず現代語の要約で流れをつかみ、そのあと原文を読む。初めて読む場合は、この順番でも構いません。
作品に登場する浅草の梅園は現在も続いている
梅園は1854年創業の甘味処
『しるこ』の冒頭には、震災後も残っていた店として「梅園」の名が挙がります。
浅草梅園の公式情報によると、創業は安政元年(1854年)です。浅草寺の別院である梅園院の一角に茶屋を開いたことが始まりで、屋号もそこに由来すると説明されています。
2026年8月6日の確認時点でも、浅草本店をはじめ、甘味や和菓子を扱う店として営業情報が公開されています。作品のなかの店名が、約100年後の現在へつながっているのです。
作品当時の一椀と現在の商品は分けて考える
ただし、芥川が1927年に思い浮かべた味と、現在提供されている商品が完全に同じだと断定することはできません。
原材料の調達、調理器具、店舗の設備、商品の構成、客の好みは、長い年月のなかで変化します。店が続いていることと、当時の一椀がそのまま保存されていることは別です。
文学作品を読んで店を訪れる場合も、「芥川が食べたものと同じ」と決めつけず、作品に登場する店の現在を味わう、と考えるのがよいでしょう。
一杯の甘味から街を歩く楽しみが生まれる
作品を読んでから浅草や上野を歩くと、甘味処の見え方が少し変わります。メニューだけでなく、店がどれほど長く続いてきたのか、震災や戦災、街の再開発をどのように越えてきたのかにも目が向くからです。
身近な店を楽しむときは、次の三点を確かめてみてください。
- 創業年や屋号の由来を公式情報で読む
- 昔から続くものと、時代に合わせて変わったものを分ける
- 作品の記述と現在の営業情報を混同しない
これだけでも、甘味を食べる時間が街の歴史をたどる時間へ変わります。

『しるこ』を読むときに役立つ三つの視点
事実・感想・空想を分ける
随筆には、実在した店についての記憶、芥川自身の好み、海外で汁粉が流行する空想が混ざっています。この三つを分けると、誤読しにくくなります。
| 読み分け | 作品内の例 | 受け取り方 |
|---|---|---|
| 事実に関わる記述 | 震災後の東京、店名 | 外部資料でも確認する |
| 個人的な評価 | 東京の汁粉が第一という好み | 芥川個人の愛着として読む |
| 文学的な空想 | ニューヨークやパリで汁粉をすする場面 | 事実予測ではなくユーモアを味わう |
とくに「東京の汁粉が第一」という部分は、客観的な味の順位ではありません。芥川の記憶と好みに根差した評価です。
現在の言葉に直してから原文へ戻る
古い文章が難しいときは、最初から一語ずつ辞書で調べる必要はありません。まず一段落を現代語で短く言い換えてみます。
たとえば、作品後半の流れは「外国人はまだ汁粉を知らない。試してもらえば世界で流行するかもしれない。ただし、本当に好まれるかは分からない」と整理できます。
大筋をつかんで原文へ戻ると、「しないとも限らない」「多少の疑問はあるにもせよ」といった、芥川の慎重でおかしみのある言い回しが見えやすくなります。
身近なものへ話を置き換えてみる
汁粉に馴染みが薄い場合は、自分の好きな地域の食べ物へ置き換えて考えてみましょう。
昔から通った食堂の料理、商店街の団子、地元だけで親しまれている菓子。それが街から消えそうになったとき、外国で大流行する姿を想像したら、少し愉快ではないでしょうか。
その感覚が分かると、『しるこ』は昔の文豪による遠い文章ではなくなります。失いたくない味について、少々大げさな夢を語った身近な随筆として読めます。
「西洋人が汁粉を知れば」に関するよくある疑問
芥川龍之介の名言としてそのまま引用できる?
「西洋人が汁粉を知れば」という言葉は、原文の趣旨を簡潔に表した要約としては使えます。しかし、芥川がそのまま書いた一文として引用するのは避けましょう。
紹介するときは、「芥川は『しるこ』のなかで、外国人が味を知れば世界的に流行する可能性もある、という趣旨のことを書いている」と説明するのが正確です。
原文を直接引用する場合は、青空文庫などで本文を確かめ、引用部分を明確に区切ったうえで作品名と著者名を示してください。
作品名は『西洋人と汁粉』ではない?
作品名は『しるこ』です。「西洋人と汁粉」「外国人が汁粉を知れば」などは、内容をもとにした呼び方や検索語と考えられます。
青空文庫では、芥川龍之介「しるこ」として全文が公開されています。
「世界を風靡する」はよい意味だけで使う?
「世界を風靡する」は、ある文化、商品、人物、流行などが世界的に広まり、大きな人気や影響力を持つことを表します。
基本的には勢いの強さを示す言葉であり、対象を必ず称賛するとは限りません。『しるこ』では、麻雀のように広く流行するかもしれないという、明るく大げさな想像に使われています。
全文は無料で読める?
青空文庫で全文を無料で読むことができます。作品自体はごく短いため、要約を読んだあとに原文を通して読むのがおすすめです。
旧仮名遣いに戸惑ったら、最初はルビを頼りに音で読み、分からない歴史的表現だけをあとで確認すると読み進めやすくなります。
芥川龍之介は本当に梅園の汁粉を食べた?
『しるこ』には、震災後に残る汁粉屋として梅園の名が挙げられています。ただし、この一文だけから、いつ、どの店舗で、どの商品を食べたのかまで確定することはできません。
作品に店名が出ることと、特定の商品について詳細な飲食記録が残っていることは別です。確認できる範囲を越えて「芥川が愛した現在の商品」と断定しないほうが正確です。
まとめ
「西洋人が汁粉を知れば」という言葉の出典は、芥川龍之介が1927年に発表した随筆『しるこ』です。ただし、この検索語は原文そのままの引用ではなく、内容を現代語で要約した表現です。
作品の前半には、関東大震災後の東京から汁粉屋が減り、街の記憶が失われる寂しさがあります。後半では、その汁粉が世界へ広がり、ニューヨークやパリの人々が一椀を囲む空想へ転じます。
読むときは、次の順番で確かめると理解しやすくなります。
- 「西洋人が汁粉を知れば」は要約表現だと押さえる
- 青空文庫で『しるこ』の原文を読む
- 震災後の店の減少と、海外へ広がる空想を対比する
- 古い呼称は歴史的表現として扱い、現在の言葉と区別する
- 身近な店や食べ物に置き換え、街の記憶との関係を考える
一椀の汁粉から、失われた東京と世界の都市を結び付けてしまう。短い随筆ですが、そこには芥川の食への愛着、街を見る目、そして現実を少し明るく裏返す想像力が詰まっています。
参考資料
- 青空文庫「しるこ」芥川龍之介(本文、初出情報を2026年8月6日確認)
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像 芥川龍之介」(生没年、経歴を2026年8月6日確認)
- 青空文庫「大正十二年九月一日の大震に際して」芥川龍之介(震災後の記述を2026年8月6日確認)
- 浅草梅園公式サイト(創業年、由来、現在の営業情報を2026年8月6日確認)

